あらゆる分野に欠かせないデータ: スローガンではない必須の取り組み

新シリーズの「あらゆる分野に欠かせないデータ」では、さまざまな分野でデータの利用に向けて努力している、教育コミュニティの人々にスポットライトを当てます。

Tableau 教育向けプログラム は、データリテラシーがある世界を築くというミッションを負っています。データリテラシーは日常生活に欠かせないものであると Tableau は考えています。あらゆる分野とテーマで、私たちはデータを利用しています。以前は専門分野だと考えられていましたが、今やかつてないほど データリテラシーはすべての人にとって必要不可欠であることが明らかになりました。 

この新シリーズ「 あらゆる分野に欠かせないデータ」では、以下のような分野でデータの利用に向けて努力している、教育コミュニティの人々にスポットライトを当てます。 

  • 社会科学 
  • 人文科学
  • 経営学
  • 自然科学と応用科学
  • その他

初回にスポットライトを当てるのは、 Nairanjana "Jan" Dasgupta 博士です。 ワシントン州立大学で、データ分析学科長、数学と科学教育学のボーイング特別教授、統計学教授を務めています。 

 

Dr. Nairanjana “Jan” Dasgupta

 

データリテラシーに関して、個人として現在までどのような道のりを歩んできたのですか?

子供の頃から、文学 (とくに詩) と数学 (とくに数) の 2 つの分野がほとんど同じくらい好きでした。バイリンガルとして育ち、読み聞かせに特に魅力を感じていました。あと好きだったのは、数からパターンを見つけ出すことでしたね。ですから、高校の数年をなんとか乗り越えた後、専攻を決める段になったときは統計が理に適っていました。専攻に選ぶまで統計の授業を受けたことはなかったのですが、受け始めたとたん、本当に求めていたものはこれだとわかりました。統計は数学の文法だけでなく文学の流麗さも持ち、私がいちばん好きなこと、つまりパターンを見つけることそのものだったからです。 

博士号 (誤検出を把握し削減するための手法開発) を取得した後、ワシントン州立大学から、当時は農学部に所属していた統計学科のポストを提示されました。その職務には、農学部や他の学部の人たちに、データについてアドバイスしたりコラボレーションしたりする仕事も含まれていました。そこから、私はデータに夢中になり始めたのです。学んできた手法を応用しながら、しかしデータ分析では原則に厳密に従うことだけでなく、常識も、データのストーリーを理解することもやはり大切だと気づきました。生来の好奇心と雑学好きが頭をもたげました。たとえば、アフリカの狩猟採集民に関するデータセットを扱うなら、問題を理解するために背景を知りたいと思うようになりました。 

ひとつ気づいたのが、とても有能なデータアナリストになるために必要なのは、そのテーマの知識、直感、常識、そして相手に対して全体像を簡単な言葉で説明できる能力だということです。私は気づくと、分野の垣根を越えた研究に惹きつけられていました。あまりに惹きつけられていたので、2014 ~ 2016 年にはワシントン州立大学で 分野横断統計教育研究センター 設立の先頭に立ち、創設ディレクターに就任しました。それと同時に、大学はデータ分析学の学士課程を設けることを検討していました。私はその委員会で、当時のコンピューター科学科長と一緒に議長を務めました。 

この新学科が一風変わっているのは、学生は数学、統計学、コンピューター科学、そして各自の選択分野のそれぞれの単位を取るという点です。先ほども言いましたが、データは必ず現実の何らかの状況から発生するものだからです。データが生み出されているその分野の微妙な実態を理解することが重要なのです。当然のことですが、(分析であれ手法の開発であれ) データを利用する人は誰でも、分野の垣根を越えて思考する必要があります。
 

Tableau 教育向けプログラム以外に大学で導入した取り組みにはどのようなものがありますか、その理由は何ですか?

私はもう長い間、あらゆるレベルでデータリテラシーを導入しようと奮闘してきました。たとえば、すべての大学院生と教員を対象にして、データリテラシーの専門能力開発ワークショップを開催しました。この分野をわかりやすく説明して、他の分野の人にも親しんでもらうためです。 

(分野横断型のプログラムの場合は特に) 大学のカリキュラムを変えるのは簡単なことではありません。データ分析学科長に就いてからの私のアプローチは、月並みな言い方ですが、最終的な成果と言える学生にとって何がうまくいき、何がうまくいっていないかを示すデータを考察することでした。学科の全学生が私に直接アプローチできるようにして対話し、学生がこのプログラムで何を学べるかを把握するよう努めました。定量的研究の長年の研究者としての立場からはっきり言えば、人間の問題を理解するには、テキストと同時に数値も必要です。  

最大の問題のひとつが「分野横断」という言葉です。料理で例えてみましょう。教育機関はビュッフェのようなものだとよく言われており、学生は異なる分野のクラスを履修していれば「分野横断」の教育を受けていることになります。しかし実際のところ、それは「多国籍料理」です。統計学の科目を x 単位、コンピューター科学の科目を y 単位取ったところで役には立ちません。学生は統計学とコンピューター科学を自力で結び付けて考えることはできないからです。そもそも期待してはいけないのです。学生は足りないパズルのピースが多すぎるときに、それらを結び付けて考えられるほどの成熟度には達していないからです。学生に必要なのは、教員同士が協力して本物のデータ講座を生み出すことなのだと、教育機関はよく理解する必要があります。  

このプログラムで私が行ったのは、履修のハードルを下げる試みです。たとえば最近も、学士号に必要な履修科目から微積分学 2 をなくしたばかりです。こうした変更が難しいのは、うわべだけ口先だけの変更ではなく、発想の転換が必要だからです。ほかにも、プログラムの履修科目数を減らして実際の経験的学習を重視することにも取り組みました。またこのプログラムを、 キャリア直結学習プログラム(英語) として認められるようにすることにも、大変努力しました。Amazon や Microsoft、Boeing などの企業と協力し、最高の経験として現実の問題を解決する機会を学生が得られるようにしたことも、その一環です。これは、チームで取り組んで、手元の問題に共同で当事者意識を持つというチャンスを学生に与えることが目的です。

現代の労働者で昔ながらの高校数学を使う人はごくわずかだが、データは頻繁に利用されている

私はワシントン州立大学で、高度な連携を図り、複数の学科や分野をまとめ上げるための基盤を強化しています。工学、数学、統計学など専門分野にはすべて役割があり、それぞれの分野には問題に熱意を傾けて取り組むとともに、教育、芸術、コミュニケーション、経済の分野にも手を伸ばしている人たちがいます。その発想に情熱を傾けている私のような人たちに、交流の場を設けることが狙いです。

私は「リテラシー」という言葉に重きを置くことで、誰もが「分析」や「科学」の範囲を跳び越えられるようになり、専門知識のない人も専門家も教育する方法について私たちに考えさせるようになると期待しています。ある特定の種類の専門家だけを養成しているのでは、データ利用を巡る労働市場の課題を、ましてや市民としての課題など解決することはできないでしょう。
 

Nairanjana "Jan" Dasgupta 博士とつながりましょう

LinkedIn

メールアドレス: Dasgupta@wsu.edu